フルはボクシーを大目に見てやったほうがいいのはどうしてか

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
知らないという人のために言っておくと、ユニオン・スクエア・ヴェンチャーズは「ボクシー」の出資者で、わたしの名前も取締役会にのっている。この数週間のあいだ、わたしはボクシーの経営陣が「フル」にボクシーがフルにとって大きな前進の助けになれること、フルのコンテント提携者になれることをわかってもらおうと力の限りを尽くしてきたのを見ていた。
残念ながら、ボクシーはその努力もいまだ実らず、今週になってフルのコンテントはボクシーから姿を消した。しばらくは袂を分かつことになったが、遠くない未来には長期的な友好関係を築くことになればいいと願っている。ボクシーの経営陣は、「アヴナ」と同じように、フルとの協力関係をつくろうと努力していて、ボクシーCEOがボクシー・ブログにもその話を書いている
ボクシーは10フィート離れて見るための使い勝手に最適化されたブラウザだ。携帯電話についてくるモバイル・ブラウザと同じように、ボクシーはウェブで見つけたコンテントを描画するのだが、これを再生する端末に最適なものにしてくれる(ボクシーの場合はTVだ)。それからボクシーは10フィート離れて見るための使い勝手に最適化されたRSSリーダでもある。コンテント所有者も、TVに最適化されたブラウザやRSSリーダというのは見るのがはじめてで、すごいものが出てきたなと畏怖の目で見ているのではないか。だけれど、モバイル・ブラウザがコンテント所有者のよき友達であるように、TVブラウザもそうなれるだろう。ボクシーはいまあるTVブラウザのなかでは群を抜いてよくできているが、そのたくさんある理由はボクシーに出資を決めたときに書いたこの投稿にまとめてある。
ここではわたしがいかにしてボクシーのすごい力を思い知ったかを話そう。
わたしはこれまで、居間にあるTVでフルを見るのに、サファリ・ブラウザを使っていた。
いまわたしは、居間にあるTVでフルを見るのに、ボクシーを使っている。
これは同じコンテントを、同じ線でつないだ同じ端末を使って見ている。ちがうのは、サファリがコンピュータに最適化されたブラウザであって、キイボードやマウスで操作するのにくらべ、ボクシーはTVに最適化されたブラウザであって、リモートで操作することだ。
今日の夕方わたしはフルのブログ投稿に寄せられたコメントをしばらく読んでいた。フルはオープンで透明性の高い決断をしてほしい、そしてこの決断についてコミュニティが、オープンな場でいろいろな意見を討論することを大目に見てやってほしいと書いた。このようなできごとは、そうするのがいちばんいい。ユーザが動揺してしまうのは自然なことだ。フルのブログにはすでに70を越えるコメントが寄せられていて、ボクシーのブログには200を越えるコメントが寄せられている。今晩もさっきわたしはツイッターに書いたが、フルとそのコンテントの提携者が、時間を割いてこのコメントを読んでじっくり考えてくれたらと願っている。
寄せられたコメントには一理あるし、はじめはごたごた混乱があっても、それはしかたない。フルのユーザには、それを見るのがファイアフォックスでもサファリでも、ボクシーでも、フルを見ることに違いがないから、わけがわからないのだ。その多くの人は、インターネットで見られるのなら、TVを見に帰ってくるだろう。したいときに、したい方法で。その人たちは、フルやボクシーのおかげで自由を得られたと思っているし、かれらにとっては天からの贈り物みたいなものなのだ。その通りだと思う。わたしは、フルとそのコンテント提携者が、少しでも早くそのことをわかってほしいと願っている。