マネーのなる引用

(This is a translated version of "John Battelle's Searchblog" blog post. Thanks to John Battelle.)
わたしはもう、ずいぶん長いことジャーナリズムにかかわってきた。24年間、というのが正確な数字だ。わたしにはかなりはっきりとした、ゲームがどう動いているのか、どう変化しているのか、どう戦われているのかを嗅ぎ分ける鼻がある。だから(つい)先だって、エリック・シュミットツイッターについて述べた一言をめぐる騒動があったのを見て、わたしはひとつここは落ち着いて、じっくり考えてみようと決めた。とくにわたし自身は帳簿の両側に座った経験があるので(これについてはあとで書く)。
背景をすこし説明しよう: エリックは今日ツイッター、すなわちわたしなど多くの人がグーグルとの合併を推測してきた会社について、「貧乏人のイーメール」と発言したのをあちこちで話題にされた。
いかにも扇動的だが、これはエリックについては一時期かなりはげしく指摘されてきた彼の性格についての評判どおりで、じっさい彼は高慢であるとの非難を受けることもあった(それについては2005年に出した本『ザ・サーチ』でも紹介した)。だがわたしはそれについて考えてみると、エリックは「コンピュータ・サイエンティストとして」発言したというのが実のところだろうと思えてくる。つまり、じっさい彼は貧乏人うんぬんと発言する前に、そう前置きしたということだ。
エリックはツイッターのことをあまり深く勉強したわけではなさそうだが、あるいはじつは勉強していて、この言葉をガリ勉さんの隠れ蓑のように使ったという可能性もある。どちらにしても、わたしはそのバンドワゴンに便乗して、グーグルの横柄さの固まりみたいな言葉を人前で言おうとは思わない。エリックはつけ加えてツイッターは成長しているコミュニティだと持ち上げてみせ、ツイッターは非常に興味深い発展の仕方をしていて、見守る価値があると意見している。
グーグルが置かれた立場を考えれば妥当な意見のように思える。これからも見守る・・・そして、正しい時機が来れば、さっとわしづかみにする、と。
それと関係あるかわからないが(ここに紹介するのはちがった読み方のできるものではあるが)わたしの発言が、グーグルのマリッサ・メイヤーを題材にした日曜日のニュー・ヨーク・タイムズの記事で、引用されていた。わたしの発言の引用は、記事の後半に出てくるが、けっこう記事におもしろみを加えていると思う。

「彼女はグーグルのすばらしい役員に求められるものをしっかり満たしています。でもわたしには、それがハズブロでのすばらしい役員に求められるものを満たすことになるか、わかりません」

と、

「人は裕福で、注目され、バブルの真っただ中に生きることに馴れていきます」とバテル氏は言う。「どの時点でその人たちが『わたしは誰?』と、グーグルではなく自分自身の存在意義を問うことになるか、見ておくのは興味深いでしょう」

それで、わたしは複数の裏手の情報から、この引用がグーグルではあまり評判がよろしくないと告げられた。わたしにはそのわけがわかる。結局、わたしが記者に話したのは、この記者が好きだったから、45分もの長い時間だったけれど、じっさいこの会話はほんの2つの引用に、どちらもとくに気持ちを込めたわけではないのだが、まとめられてしまったのだ。
ということは、どちらにも一理あったのだと思う。必ずしも記事にぴったりとはまったものではないにせよ。ハズブロのほうの引用は、まあ、自明でしょう。マリッサはハズブロでチームをまとめようなどと思ったりしないだろうし、この点がうまく伝わらなかったのだろうけれど、得てして発言の口調というのは、引用ではうまく伝わらないものなのだ。ハズブロをわざわざ選んだのは、メグ・ウィットマンがそこで働いていたからで、わたしが言いたかったのは、もっと広い意味でだ。マリッサは(ほかの人も同じく)そのキャリアのすべてをひとつの場所でしか働いたことがなく、その場所とは、ぼかすと、この地球にあるあらゆるほかの会社とちがっているところだ。
それが2番目の引用につながってくる。わたしはグーグルにいる、特定の一部の人たちについて言ったのだ。これはなにもマリッサだけではない。(記者が電話してきたとき、わたしは人と会う約束で自動車の後部座席に座っていて、自分がなにを話したか正確には思い出せない)。わたしの意見は、グーグルで長く働いてきた役員は近寄り難いと言っているのではなく(たしかに裕福ではあるが)、むしろ、彼らはある時点で自分の仕事からふと我に返り、こう問いかけるのではないか。グーグルから出たらわたしは誰だろうか? グーグルの初期を指導してきた役員の人たちが同じことを経験するのをわたしは見てきた。マリッサもやはり同じことを経験するだろうと思う。まだ経験していないかもしれないが。
バブルの真っただ中で働いているとき、そしてグーグルで働いているときは、その核となるスキルが、外でも通用するものだ。わたしは急速に成長する会社には2つ、バブルの真っただ中につとめたことがある。やはりわたしも先が見えなくなる経験をした。端的に言うと、わたしのキャリアで2回、はじめはワイアードで、2度目はインダストリ・スタンダードで。どうやら自分は、現実が他所とちがって見える世界にいるのだと気づいたとき、わたしはすぐにそこから出ることにし、つぎのことに取りかかった。あるいはマリッサには当てはまらないことかもしれないし、あるいは、ワイアードネットスケープ、AOL、マイクロソフト、それからツイッターやザッポスでも起きているできごとが、グーグルにも起きているだろうと思い込むのはわたしの間違いなのかもしれない。
でも念のために言っておくと、わたしはそうは思っていない。