たった10行のコードだ

(This is translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
「テッククランチ」やその他のテック・ブログで、スタートアップが資金調達を得たという話が投稿されると、不機嫌だったり皮肉を言うコメントが目立つようになってきた。
こういった投資について多くの人が意見を交わし議論するのはよいことだ。はっきりしているのは、行われたヴェンチャ投資がすべてよいものというわけではないことだ。じっさい、わたしは何回も書いてきたのだが、もしわたしたちに行き先を映してくれる鏡があったとしたら、わたしたちがじっさい投資したうち3分の2は、投資したくないと思うだろう。投資された3分の1だけが、投資したときに思ったよりも、じっさいうまく行ったものなのだ。
こういった投稿が生み出している議論については評価したいし、わたしはいつもブログの読者が投資についてどう思っているか、感じ取るためにはコメントをできるかぎり読みたいと思っている。それはわたしたちの投資についてであったり、わたしがどこかで読んだ、ほかの投資についてであったりする。わたしは日々より賢く、よりよい投資者になろうと取り組んでいるが、読んだコメントがわたしにとっては知識につながり、興味深く、有益なデータとなっている。
だがあちこちで、明らかに人を侮蔑するようなコメントがあるのは、いやなものだ。今日「アレイ・インサイダー」がbit.lyの資金調達について書いた投稿にも、それは見受けられた。わたしはbit.lyのチームと投資者のことを知っているし、URLの短縮にはbit.lyばかり使い続けてきた。出てきたときからずっとだ。わたしにはとても便利なサーヴィスだし、これまでに使ったことのある、ほかのURL短縮よりも改良に熱心だと思う。
どうやらURL短縮がインターネットにとってよくないことだと考える人がたくさんいるらしく、わたしもその人たちの心配には同意するところもある。だがわたしは、bit.lyが解析やらクリック追跡やらで取り組んできたことは、ほかにはない、価値のある、将来を期待できるものであると思っている。
わたしたちはbit.lyに投資しているわけではないが、前にも言ったとおり、わたしは自分がブログで読んだウェブの投資については必ずコメントを読むことにしているし、アレイ・インサイダーの投稿でもコメントに参加したのはそういうわけなのだ。以下に載せるのは、わたしがその投稿で出くわした、2番目のコメントだ。

ばかなテック・ブロガーたち。bit.lyなんてコードは10行くらいしかないし、そのうち9行はインタフェースだ。

わたしはほかの場所でも同じコメントを聞いたことがある。わたしのパートナーであるアルバートから聞いた話では、彼は「デイリイ・リット」(彼が2007年に開発したウェブ・サーヴィス)向けにURL短縮を1日でコードし終わったという。
しかし、単純に開発されたものだからといって、それがよいヴェンチャ・キャピタル投資ではないとはかぎらない。複数の人たちからツイッターはひと週末あればつくれると聞いたことがある。それを疑うつもりはない。だがツイッターはただのコードではなく、人気のあるコミュニケーション・サーヴィスであり、数千からなるディヴェロッパがそれを土台にしているAPIでもある。多くの人がツイッターをこき下ろすのを見てきたが、こき下ろしたところでどこにもたどり着かなかった。2004年と2005年には、多くの人がデリシャスをこき下ろしたが、同じ結果だった。
決定的に大事なのは、そこに没頭し、そのサーヴィスから多くの価値を得ているアクティヴなユーザの存在だ。そう考えれば、bit.lyはとてもうまくやっている。そのアレイ・インサイダーの投稿によると、先週bit.lyによる2000万のリンクがクリックされ、その数字は毎週10%の割合で増えているという。これは必ずしも没頭の度合いを示すものではないが、わたしはbit.lyを毎日数回使っているし、ユーザの多くはやはりそうしているのではないかと思う、と言っておこう。
だからわたしは、「たった10行のコード」のコメントがいやなのだ。多くの人が使っている大事なウェブ・サーヴィスであるかどうかをはっきりした題材で議論して、そのうえで、それがよい投資であるかどうか議論しようよ。アレイ・インサイダーの投稿がそれについて書いている部分に対し、よいコメントがたくさんあったはずだ。だが不機嫌で人を侮蔑する、度量の狭いことはやめよう。誰にとってもよいことではないのだし。