ニューズスタンドから新聞を取り上げるわけにはいかない

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
今週末のテック/メディア・ブログで話題になったのは、ルパート・マードックの発言だった。

「このままグーグルにわれわれの著作権をそっくり明け渡してしまうのか?」とニューズ・コーポレーション最高経営責任者は、木曜日ワシントンD.C.で開かれたケーブル産業の会合で言った。「その答えは」とマードックは言う。「ありがとう、でも結構です」

イアン・ベタリッジがこれについていい投稿を書いている。

この発言から、あれは新しいメディアを理解しない古いメディアの恐竜だ、と決めつける人もいるが、わたしは必ずしもそうは思わない。マイケル・ウルフの書いたマードック伝を読んだ人には、彼がよく考えずに、先を計算しないままこのようなことを言い出すことはめったにないことがわかると思う。

イアンの言っている、ルパートが評判通り賢明な海千山千であること、彼がしっかり考え抜いていることに、わたしも同意する。だがルパートやニューズ・コープやその他の新聞オーナーにとって不幸なことに、こればかりは、さあおもちゃを持ってお家に帰りなさいというわけにはいかない。
ニューズ・コープなら、WSJであれNYポストであれ何であれ、グーグルがページをクロールするのを阻止するのはかんたんなことだ。グーグルを訴えて、売り上げの一部を要求したかったり、ルパートがグーグルから受け取りたいものがあるのなら、何でもやればいい。
だがひとつ言えることがある。グーグルは新聞配達なのだ。グーグルはニューズスタンドなのだ。ルパートやほかの新聞オーナーが、グーグルのインデックスにはコンテントを載せないと決め込むのなら、本来行き場があったはずのコンテントがたくさん、行き場を失うことになる。
ここで「グーグル・ファイナンス」のページの最上部を見よう。

金曜日、アジアのオンライン・ゲーム会社「チェンジユー」が合衆国で株式公開され、非常にうまく行った。これはいろいろな意味で興味深く、そう思う人も多いだろう。グーグルは、チェンジユーのIPOについて記事を3つ載せている。「シーキングアルファ」の見出し、「フォーブズ」の記事、FTの記事だ。ところがWSJの記事が載っていないことに気づいただろうか。
わたしはそれでもとくに困らない。3つのリンクから選んで読めるし、わたしはシーキングアルファのリンクを選んでみた。シーキングアルファとは、株式について書くブロガーのネットワークだ。ゆっくりではあるが、株式のニューズや解説については信頼できる情報源として、ブランドを築きつつある。
ニューズ・コープにとってグーグルは問題ではない。問題はわたしたちのほうだ。わたしたちには知っていることがたくさんある。だがわたしたちには、印刷機がない。これはいいことだ。というのは、印刷機は高価だからで、しかしわたしたちにはコンピュータがあり、ブロギング・サーヴィスの多くは無料だ。「ユーザ・ジェネレーテッド・コンテント」によって、ありとあらゆる切り口から非常に強力なニューズ・サーヴィスが生まれている。テックだけでなく、金融、ファッション、音楽、旅行、ライフスタイル、その他。そのうちシーキング・アルファのような一握りの会社がユーザ・ジェネレーテット・コンテントのもっとも良質なものを集め、ひとかどのニューズ、情報、エンターテインメント・サーヴィスを生み出しているのだ。
ティーヴ・ジョンソンは「アウトサイド・イン」(わたしたちのポートフォリオに入っている会社)の創業者で、人気の高い筆者だ。彼が先月SXSWで行なったキイノートで、実にうまいことを言っている。

テクノロジと政治で起こったことは、ほかのどこでも起こりつつある。それは時刻表が別なだけだ。スポーツ、ビジネス、映画や本やレストランのリヴュー。古い新聞の形態では主要な内容であったものが、オンラインで増殖しているのだ。これで出尽くしたわけではない。さらに深く、さらに広い面でそれが起こりつつある。新しい成長とはそういうことだ。成熟するのはまだこれからだ。

出尽くしたわけではないというのは、なにより大事なことだ。ニューズや情報のコンテントは、ますます豊富で良質になりつつある。そして結局はそれがルパートの考えるべき問題なのだ。彼がグーグルには対抗できないというのではない。彼はわたしたちと対抗するわけにはいかないのだ。