ツイッターは騒がれすぎ、それとも「マクロマイオーピア」の再来か?

(This is a translated version of "Don Dodge on The Next Big Thing" blog post. Thanks to Don Dodge.)
いまやどこへ行ってもツイッターだ。誇張騒ぎがすぎないか? それともこれは、「マクロマイオーピア」がまたやってきたのだろうか。つまり、短期的な効果を高く見積もりすぎて、長期的な効果を低く見積もりすぎる、という現象だ。ツイッターにかんして騒がれすぎ、注目されすぎ、という面があるのは疑いようがない。火付け役としてアシュトン・クッチャー、CNN、オプラが挙げられる。いろんな人がツイッターは「もう頂点をすぎた」、騒がれすぎ、台無し、もう元には戻らない、などと言っている。これはフェースブックが大学生だけだったのが、誰でもアカウントがつくれるようになったときに言われていたのと、同じことだ。当時フェースブックのアカウント数は、いまより1億9000万も少なかった。
サラ・レーシイがテッククランチに寄せた記事で、ブロガーよ誇張騒ぎのサイクルをやめよう、と言うために、テクノロジ騒ぎのときに有名になったガートナーの予測モデルを引き合いに出している。なんだか変ではないか・・・たしかに騒ぎに火をつけたのはブロガーだが、それはテッククランチのようなサイトのことだし、本人であるテッククランチが進んでその騒ぎのサイクルを止めようなどと言うのは、なんだか皮肉な話だ。要するに、サラやテッククランチはまったく正しい。わたしたちは誇張するのはやめにしたほうがいいし、このグーグル・キラーについてわざわざ人目を惹こうとする題名をつけるのもやめにしたほうがいい。新しく有益でかつ収益を出すための方法、それを話し合うべきだろう。
誇張騒ぎというのはいつの時代もあるものだ。グーグルがベータ・プロジェクトや製品リリースを告知するたびに、いきなりこれはすごいだの、何とかキラーだのと決めつけられたりする。グーグル・スプレッドシートが3年前に発表されると、多くの人がいきなり「エクセル・キラーだ」と決めつけたのだった。ちょっと待ってくれ。そんなことないじゃないか。3年経ったけれど・・・エクセルはまだ十分うまくやっている。ありがたいことに。
マクロマイオーピアは誇張騒ぎのサイクルの一部分だ。2000年におけるインターネットが、まさにそのいい例だ。新聞などがそれを誇張し、株式市場が高く評価しすぎ、そして期待だけが屋根を突き破る。2001年のインターネット・バブルの崩壊は、ガートナーの予測モデルで言うところの予測可能な「幻滅のトラフ」というやつだった。あの時点ではインターネット株の多くがバランスシートに見合わない市場評価だったのだ。
ツイッターはマクロマイオーピアというやつではないか。誇張も期待も高すぎる。だがツイッターがどうなるのか、なんの役に立つのか、どうやってカネをかせぐのかといったことを、わたしたちはほんとうに理解しているのだろうか。ウェブ・ブラウザで短いテキストのやりとりをして、誰でもフォロウできるというだけのものではない。たいていの人にとって、ツイッターは効率のいい相互通信ツールで、それが楽しいというだけだろう。だがガイ・カワサキは、ツイッターではこんなにおもしろい使い方ができる、と教えてくれた。彼が言うには「TV以来に発明された、もっとも強力なマーケティング・ツール・・・しかも無料。ビル・ゲイツや『ロンリー・ガール』だって、140文字しか使えない」だそうだ。
ツイッターはおもしろい記事、製品のオファー、マーケティングのメッセージなど、人に知らせるために使うこともできる。ツイッターは売り上げの水揚げ場というより、その呼び込み役なのだ。ツイッターは数千人、いや数百万人もの人がメッセージを受け取る、もっとも早く、もっともかんたんな方法なのだ。ツイッターはリアルタイムで、速報にはぴったりだし、株式市場の値動きを知るのにもいい。ツイッターはうまくいけばリアルタイムの検索エンジンとして、とくにいま話題になっていることを選び出すとか、友達やフォロワーが関心をもっていることを選び出して検索結果を表示するといった効率的な役目をこなせるかもしれない。ツイッターは携帯電話でよく使われる位置情報サーヴィスに組み込まれることもあるかもしれない。
要は、ツイッターをどう使うことができるのか、その巨大かつ急速に広がるソーシャル・ネットワークからどう収益を出すのが効率的かといったことを、わたしたちはよく知らないのだ。ツイッターがただ流行りで終わるものでないことははっきりしている。たしかに、そのテクノロジは単純だから置き換えることができる。だがそこに集まる人は置き換えられないのだ。ソーシャル・ネットワークスは、人を結びつけ、お互いやりとりさせることにすべてがかかっている。それはネットワークの力なのだ・・・テクノロジではなくて。