アップルの「ノー」を額面通りにとらないほうがいいわけ

(This is a translated version of the "Gene Steinberg's Mac Night Owl" blog post. Thanks to Gene Steinberg.)
数年前、金融アナリストとの四半期電話会見のとき、アップルは安価なマックをつくることなど考えたこともないと否定してみせた。その理由は、よく言われているとおり、かれらは安っぽいマックをつくりたくないからだ。
まあたしかに、1990年代にアップルは(多かれ少なかれ)正しいことができなかったが、低コストで低性能のマックをいくつか出してきて、それは使い物にならないと言われても仕方ないようなものだった。ここで特定のモデルを挙げるつもりはないけれど、強いて言えばパフォーマと名のつくものだが、ここに長く来ている読者には察しがつくことだろう。
ところが、その質問が出た電話会見から数か月もせずに、マック・ミニが登場した。たしかに、これは同値段で売られているPCボックスとはまったく似ていないものだった。じっさい、内部はアップルでいちばん低コストのノートブック、その当時はアイブックと呼ばれていたが、それとほとんど同じだった。ついでに言うと、これはアップルのノートブックの部品をデスクトップに使った一例だった。この設計戦略は大部分がアイマックにはじまったもので、アイマックはその出だしからそのやり方で設計されていた。
いずれにせよ、アップルのR&Dへの愛情を存分に受けたとはいえないかもしれないが、マック・ミニはそれでも数年にわたって根強く売れてきた。最新のモデルは先月前半に発表されたが、かなり好評で、とくにエヌヴィディアの9400M統合型グラフィックス・プロセッサを採用したことが功を奏したようだ。これは先代のインテル製のものより数倍の性能を出すことができる。
そして数年のあいだ、アップルは携帯電話事業に参入するのではないかという推測に対し、冷や水をかけるようなことをくり返してきたが、それはアイフォンの発売を間近にして終わった。既存のスマートフォンのインタフェースには具合の悪いことがいくらもあって、それはアップルの先鋭的な製品すなわちアイフォンによって置き換えられるものだった。そしてそれは一部の競合する会社にとって、格好の物まねの種を与えるものだった。
もう少し最近の話をすると、ネットブック市場が広がりを見せたときはずいぶんたくさんの議論が呼び起こされた。アップルが3月までの四半期の財務報告を発表する直前は、一部のアナリストたちが、アップルにはマック・ビジネスの深刻な衰退を取り戻すためにネットブックを出すより手がないという誤った予測を述べた。
ところが既存のネットブックは小型化したノートブックに弱小プロセッサ、小型ハード・ドライヴまたはフラッシュメモリを載せたものにすぎない。キイボードは狭いところに押し込められ、画面は非常に小さい。基本的なイーメールやウェブ・ブラウズをするのと、ワード・プロセッサを使うくらいならなんとかできるが、本物のノートブック・コンピュータを買いたくてもお金がないので代わりに買ったという人が後悔の声を発したときに真価が試されることになる。
その一方、アップルは既存のネットブックはただの安物のジャンクだと言い、同様の製品をつくるつもりはないとくり返した。だがアップルは自前のアイディアを持ち合わせていることを示唆する程度には、可能性の扉を開いたままにしている。ネットブック市場が一過性のものでないことがわかれば、参入も考えることだろう。
もちろん、そのような言い方をするということは、ネットブックの試作品をアップルの本社で検証しているだろうこと、それも外部から勘ぐられないように遮断された建物で行なわれていることを、自ら明かすようなことだ。たしかに、アジアの契約製造業者がアップル製品をつくることに選ばれたことをという記事もあって、読んだ人もいるだろう。アップルがすでにその端末に収まる10インチのディスプレイを注文したという話すら出ている。
残念ながら、そういった話を真に受けても仕方ないだろう。アップルからのビジネスを期待している会社はどこも、アップルの将来の製品をつくるよう依頼されたとは言えないのだ。そのようなことをすれば、商業的に自殺行為をするのに等しい。新しいアップルのガジェットになんとか割り込もうと真剣に渇望する製造業者は、間違いなく極秘の契約を交わしたうえで入札に参加しているはずなのだ。それはつまり、秘密を漏らせば手を切られることを承知しているということだ。
もっとも、アップルのネットブックが開発中だとすれば、PCメーカと同じような既存のノートブックの設計をただ縮小するだけという手法は採らないだろうと言える。開発コストを減らすことはできても、それはアップルの出番ではないのだ。
信頼できそうな推測といえば、アップルがたんにスリムに刈り込まれたアイフォンむけオペレーティング・システムをつかって、それをもうすこし大きな製品として出してくるという話だ。そこにはおそらくタブレットの画面がついていて、言ってみればアイフォン型タッチ機能のついた、携帯ディスプレイといったところか。
もういちど言うと、わたしたちは皆、暗がりのなかで模索しているのだ。アップルのアイフォンがどのようなものになるか、それが発表される前に正確な予測などはほとんど--あるいはまったく--できなかったはずだ。同じことはアップルのネットブックについても言える。たしかに、それはイーメート300なる、ニュートン・オペレーティング・システムをベースにしたポータブル・コンピュータの後継機種かもしれない。あるいは組み込み型キイボードのついたものかもしれない。もっとも、わたしはどちらかといえばワイアレスの入力端末に対応させてくるだろうと思うが。
はっきりしているのは、アップルはわたしたちを驚かせる能力を失ってはいないということだ。だから推測をしたければすればいい。ほとんどの推測はほとんどの意味において間違っていると確信をもって言えるからだ。