新聞を救うことはできるか? 新聞自身から?

(This is a translated version of "Don Dodge on The Next Big Thing" blog post. Thanks to Don Dodge.)
新聞は深刻な困難に陥っている。そういうことはあまり読まないという人もいるだろうが、それはきっと、新聞が自分の崩壊する様子を報道したくないからだろう。ボストン・グローブはわたしの住んでいるところの地方紙だが、昨年5000万ドルの赤字となり、今年はそれが8500万ドルとなる見込みである。ニュー・ヨーク・タイムズは(ボストン・グローブの親会社だ)労働組合が2000万ドルの削減に合意しないかぎりボストン・グローブ紙を廃止すると言って脅している。4つある組合のうち3つは合意したものの、「ボストン新聞組合」は昨晩この条件を拒否した
ペーパーカッツ」という、合衆国の新聞産業を取材しているウェブサイトは、100以上の新聞が完全に廃止され、26,000人以上の職がこの18か月で削減されたと述べている。「サンタイムズ・メディア」(シカゴ・サン・タイムズを含む58の新聞を所有する会社)が破綻した。ロス・アンジェルズ・タイムズや、その他の新聞も同様である。
なにがいけなかったのか? 完膚なきまでの嵐だ。紙面広告は「モンスター・コム」やクレイグズリストによってズタズタになり、購読による売り上げを減らしつづけている。しかも景気後退のせいであらゆる種類の広告が減少している。この完膚なき嵐は、数年かけて発生したものであるが、そのきっかけは一時的な事件のように理屈をつけられ、これはビジネスにはつきものの浮き沈みであるだとか、さらに困ったことには乗り越えられる問題であるという理屈をつける人もいる。哀しいことにこれは一般的な反応なのだ。わたしたちはこうして合衆国の自動車メーカ、音楽産業、住宅ローン産業のどれもが警告をなす兆候を正しくとらえることができなかったのを見てきているのだ。
恐竜が絶滅したのは、体が大きすぎたからではない。適応するのが遅すぎたからだ。苦境にあるビジネスは通常、支出を削減したり人員を削減して組織を守ろうとする。これは少なすぎたり、遅すぎたりしがちなことだ。以前の姿をそのまま小さくしようとするのだ・・・だがそれでは本質的な問題はなにも変わらないのだ。かれらは厳しい決断をした、そして前進し以前の成功を取り戻そう、と考えてしまいがちである。だがかれらがやったことといえば、ほんの少し時間稼ぎをしただけなのだ。認めたくないだろうが真実は、世界は変わったのだ。適応するのが遅いと、そのとき必要となる変化は、持ち堪えられないほど厳しいものとなってしまう。そしてやってくるのは、ゆっくりとしたデス・スパイラル、多方面から指を指され責め立てられるという顛末である。それでいて、そこから見通しだとか教訓だとかはほとんど得られない。
アメリカの大手新聞の重役たちが先週シカゴで内密に会合を開き、そこで新聞産業の維持をかけた戦略を描こうとした。この会合では、主に2つの問題が話し合われた。自前のコンテントを保護するための著作権を強化する方法、それから自前にせよ外部からにせよウェブサイトからの収益を確保する方法である。その基本的な考え方は、新聞コンテントにまつわる課金制度を構築し、自社のコンテントを無断使用したウェブ・サイトすべてに対し訴訟を起こし、グーグル・ニューズなどのサイトからは収益の数パーセントを要求するというものだ。
これでうまくいくのか? たぶんうまくいかないだろう。しかもそれは法的にも通らない要求のはずだ。だからこそ新聞は議会でロビイ活動にいそしみ、著作権法の変更を求めたり、独占禁止法に抵触しないように特権を求めたりしているのだ。だが現実には、すべての新聞が合意し採用するような戦略をつくるのは不可能である。もうひとつの現実は、消費者は無料のニューズならいくらでも選択できるということだ・・・課金制度は成功しないだろう。
新聞に望みはもうないのか? たぶんボストン・グローブにはないだろう。だがそれ以外の新聞には、イエスだ。ちゃんとある。だが、この転換期を生き残るには強くなければならないし、それを実行に移すためには勇気をもたなければならない。すべての新聞はそれぞれ違っている。だが共通した問題や機会はあるのだ。かれらはどんなことができるのか?

  • コスト削減。新しい現実とコスト構造に適応する。紙面広告の金はもう戻ってこない。それに馴れることだ。コスト構造をそれに合わせること。これだけでは問題は解決しない。だがそれは解決の実行にかける時間を稼ぐことになる。
  • ローカル・ニューズに特化する。学校、ビジネス、行事、地元の人々のことだ。ローカル・ニューズは真似できない。全国ニューズは数百もの情報源から無料で手に入るコモディティである。ローカル・ニューズは地元の人々にとっては大事だし、ほかのどこでも手に入れられない。お金を出して購読する人もいるだろう。広告主も購読者にアクセスするためにお金を出すだろう。
  • オンラインの存在感を広げる。ローカル・ニューズには深く入り込むこと。印刷版の新聞で扱うほど人気がない記事でも、コミュニティの人にとっては興味深いものがたくさんあるものだ。ロング・テールである。
  • ソーシャル・メディアをつかう。地元のブロガー、学校の生徒、ビジネスのリーダーに、記事や写真や解説記事を新聞のウェブサイト上に投稿することを許可する。地元の人がコミュニティをつくれるような場所を提供すること。新聞はコミュニティの繋ぎ役となる。
  • 新しい売り上げの出所をつくる。オンラインでプレミアム・コンテントを売る。たとえばスポーツ・チームに深く立ち入った取材をするだとか、春のガーデニングについてのハウ・トゥだとか、春の品種のワインを取材するだとか。

ジャーナリズムはまだまだ大事であるし、これまでになく価値をもってきている。新聞にばかり依存していたのが過去の話となってしまうほど、わたしたちはあらゆる情報源からニューズを集めるようになった。新聞は速やかにそれに適応しないと、いまや過去のものとなった恐竜の仲間入りをすることになるだろう。