ナノメディア

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
わたしはfredwilson.fmというインターネット・ラジオ局をやっている。このリンクをクリックするか、このブログ最下部にある黒いバナーをクリックすると、聞くことができる。
わたしは毎日ひとつ、新しく楽曲を追加しているので、あなたがfredwilson.fmを聞くと、わたしのお気に入りの曲を(ほとんどはウェブで見つけたばかりの新しい曲だ)時間順の逆で聞いていくことになる。それだけだ。とてもシンプルで、プログラムするのはわたしにもかんたんにできる。
インターネット・ラジオ・サーヴィスが広がっていくなかで、fredwilson.fmはちっぽけなものだ。平均して1日60人くらいの人が聴き、1月で1,300人くらいになる。

fredwilson.fmはナノメディアの完璧な例だ。このサーヴィスはわずかな観客がいるだけで、わたしの趣味以上の何ものにもならないだろう。fredwilson.fmにはハードコアなファンがいるかもしれないが、そうだとしても数十人といった数で、100人にも達していないに違いない。これは今後商業的な資産になることもないはずだ。広告も載せない。
そういうわけで、このようなサーヴィスを見ない振りをするのはかんたんだ。じっさい多くの人はそうしている。だがその人たちは、ナノメディアのとても大事な点を見逃している。自分の責任でやっているサーヴィスはそれぞれ、無意味と意味の境界線に立っているのだ。ナノメディアを全部ひとところに集めたサーヴィスには、とても大きな意味がある。
友達のジョン・ボースウィックとわたしは、セス・ゴールドスタインからインタヴューを受けた。先週だか先々週だか、彼のソーシャル・メディア養成所で会った。そのインタヴューのヴィデオはここで見られる。そのときわたしは断言したのだが、「ソーシャル・メディアを全部ひとところに集めたメディアは、これまでにつくられた最も大きなメディアだ」。
ではもう少し音楽ブロギング(fredwilson.fmはこれで動いている)について考えてみよう。わたしのストリームとあなたのストリームと、あなたの友達のストリームはそんなに多くの観客を集めていないかもしれない。でもそれを全部まとめて「ハイプ・マシーン」だとか「elbo.ws」だとか「ウィ・アー・ハンテッド」のようなものになれば、音楽サーヴィスには見逃せないほどの観客が集まるのだ。

オープンなウェブでは、サーヴィスはサーヴィスの上につくられる。fredwilson.fmもタンブラーやストリームパッドの上につくられている。ハイプ・マシーンやelbo.wsはfredwilson.fmのようなサーヴィスの上につくられている。こうして積み上がった山の上に行けば、かなり大きな観客を集めることができるようになる。そしてたとえばヴェルヴェット・アンダーグラウンドの曲「ペール・ブルー・アイズ」は、わたしもつい最近fredwilson.fmに投稿した曲だが、これをたくさんの人が再生する(1505人というのが現在の数だ)と、fredwilson.fmの月間訪問者数以上の数字になるのだ。
新しいメディアとは、拡散したミディアムの集合体である。ひとつひとつのチャネルは小さいかもしれないが、そこから切り取ったものをひとところに集めると、とても大きなものになる。それがナノメディアが大事な理由だ。