ポスタラスはブロギングに対するわたしの考え方を変えつつある

(This is a translated version of "Micro Persuasion" blog post. Thanks to Steve Rubel.)
わたしはこのところ、将来のブロギングはどのようなものだろう、わたしの暮らしとどう結びつくだろうと考える機会が何度もあった。ここで止めるつもりはないのだが、それでも行動範囲がステータスの世界へと移りつつあり、わたしの世界はだんだんモバイルへと移っていくにつれ、自分の書いたものをどう発表していくか、新しい方法を模索しているところだ。
ルイス・グレイスティーヴ・ギルモアとわたしは、先週だか先々週だかにフレンドフィード上で会って、この問題についてかなり深い議論をした。この問題についてはそれ以外にも同世代の人たち、たとえばジェレマイア・オウヤンともなかなかいい対話ができたし、シックス・アパートやブロガーやディスカスの人たちとも話し合った。
というわけで、わたしはこれまで5年にわたってウェブログを書いてきて、だんだんそのペースが遅く、古臭く感じられるようになってきた。ベースラインの試合にばかり専念しているシングルズのテニス選手のような、遠く離れたところでボールを打ち返したりしているような具合なのだ。それに対し、ステータスの世界は、ダブルズをしているような感じで、つねにネット越しでやりあっているような具合なのだ。
もっともこれは一方的に見た話でしかない。べつの視点から見ると、わたしはよく「RT」や「@」の世界にいるので、ときには付加価値のある深い思考がなされたブログ投稿があると、それはやはり新鮮に感じられる。ちょうどよいのは、それをハイブリッドにすることだ。
わたしはずいぶん前からジョン・グルーバを尊敬していて、彼は卓越した「デアリング・ファイアボール」ウェブログを書いている人だ。彼がまさにそのモデルにあたる。一日じゅう彼はブログに「見つけたもの」にリンクを張って簡潔なコメントを添えて書いている。ときどき彼は長い分析記事を書くこともあって、ちょうど今日はPRとジャーナリズムについて書いていた(ちなみにこれは必読だ)。それだけでなく、彼はツイッターでの対話にも熱心である。これは見習うだけの価値があるすばらしいモデルだ。でもわたしのようにしょっちゅう出たり入ったりしている人にはどうすればできるのだろうか?
ポスタラス」を試してみよう。まだ見たこともないという人に言うと、ポスタラスがすごいのは、あなたの使っている表現手段すべてに対応するフロント・エンドとして使えることだ。すべてがイーメールで用が足りるのだ。
ポスタラスにイーメールを打つと、コンテントは直ちにわたしのライフストリームのサイトに投稿される。それだけでなく、メッセージの送信方法によって、どこに出すかを決めることができる。ポスタラスはさらに、かんたんなタギングトラフィックの統計などわたしの好む機能がたくさんつまっている。これはわたしのすべての投稿について見られる。
最近わたしは読む/共有する作業をだんだんとアイフォンに移してきている。そのうちわたしはウェブのブラウジングをモバイル端末でするようになり、ラップトップではあまりしなくなるだろう。ちょうどわたしは新しいアイフォン3GSを手に入れたばかりなので、写真や動画についてもいろいろ使いたい。ポスタラスはすばらしいハイブリッドのソリューションだ。どこに関連しているかによってべつべつの場所に投稿してそれを共有することができ、それがすべてイーメール経由でかんたんに済ませることができるからだ。
では読者としてのあなたに、どんな意味があるか? なにもない。あなたはただ、わたしのこのブログに来れば、わたしが書いているものを読めるというだけだ。それから、わたしのライフストリームを購読すれば、さらに多くのものを読める。ツイッター、フレンドフィード、フェースブックでのわたしの友達はいろいろ読める。ポスタラスは、あちこち活動している人にとっては、理想的なフロント・エンドではないかと思う。
あなたはどのようにして、いつ、どこで表現しようと決めていますか? ひとつの媒体だけではいろいろな役割は担えないけれど、ポスタラスのようなハイブリッドがあればそれができるのです。