グーグル対フェースブック? ツイッターから学べることがある

(This is a translated version of the "John Battelle's Searchblog" blog post. Thanks to John Battelle.)
フェースブック検索について、先週わたしは自説を述べる投稿を書いた。わたしはこのように書いた。

フェースブックはニューズフィードを超えたところまで足を踏み込んで、検索をてこにしてそれが有益であることを証明し、さらに広げていこうとしているのだ....今日のフェースブック検索を開発するというのは、10年前のグーグルの開発と似ている。しかもそのとき以上にデータ、アルゴリズム、プラットフォームというハードルを超えなければいけない。

もう数日だけ待っていれば、今週出てきた「ワイアード」にフレッドが書いた記事も紹介できたところだった。彼は検索の王グーグルと、成り上がってきたフェースブックとの反目について述べている。その記事のなかで、彼はこのように書く。

この10年くらいのあいだ、ウェブはグーグルのアルゴリズムによって定義付けされてきた。そのアルゴリズムはすべてのオンライン上の行動を、厳格かつ効率的な方法で実務的に解剖して、オンライン世界に公平無私な地平を築き上げた。フェースブックCEOマーク・ズッカーバーグはよりパーソナライズされた、人間味のあるウェブを展望した。そこでは友達、同僚、仲間、家族のネットワークがもっとも大事な情報源であるという点で、オフラインの世界そのままである。ズッカーバーグの展望では、ユーザはたとえば医者を探していたり、よいカメラを見つけたい、誰か雇いたいといった場合に「ソーシャル・グラフ」を手がかりにすること--すなわちグーグル検索という冷たい計算式に頼らないことが目指された。これはわたしたちがオンラインの世界を歩んでいく道のりをいちから考え直すということであり、その中心にはフェースブックが鎮座しているというわけだ。べつの言い方をすれば、いまグーグルが座っている場所にである。

並みいる競争相手のなかで(ツイッターも含まれる)フェースブックはいちばん多くのデータ、強い立場、可能性をもっていて、グーグルのウェブ統治状態をおびやかそうとしているということにはわたしも同意する。だが同意できないのは、この記事の前提となっていることである。つまり、フェースブック保有するデータへの専有状態がグーグルにとって死角であり、それがフェースブックに競争優位をもたらしているという前提だ。フレッドはこのように書く。

それに加え、このデータはマンモス級の行動履歴を含んでおり、ほとんど第2のインターネットといってもいいほどである。フェースブックによる試算では、毎月ユーザは40億もの情報(ニューズ記事、ステータス・アップデート、誕生日にほしいもの、など)を共有しているという。さらに、ユーザは8億5000万もの写真と800万もの動画をアップロードしている。だがこの対象物にアクセスしたい人はかならず、フェースブックにいかなければならない。このソーシャル・ネットワークはあたかも専有データのように扱っていて、それはグーグルのクローラーからは防御されている。例外はユーザが公開していいと選択したごく一部の情報だけであり、それ以外はフェースブックのサーバで起きるできごとはすべて、フェースブックのサーバにとどまるのだ。これが、グーグルの死角を大量かつ急激に作り出している。そしてグーグルの長らく宣言してきたゴールは、「世界中の情報を組織化すること」である。

わたしが思うに、グーグル(とグーグルにクロールしてほしいと期待する人)に情報をいっさい渡さないというのは重大な戦略的失敗である。じっさい、わたしに言わせれば正しいやり方は、まず可能なかぎりのものをグーグルにクロールさせること、そしてしばらくはグーグルがいかに「組織化し、誰にでも利用できるようにすること」にもがき苦しむかを眺めてやればいいのだ。筋書きもないままに取り組めば、どんなひどいことになるか、わかるだろう。
何がいいたいのか、例をあげよと言われたら、ツイッターを見ればいいと答えよう。このサーヴィスはすべてのツイートをひとつ残らずクロール可能なものとしている。グーグルはじっさいツイッターのページをクロールしている。だが注目すべき点は、「できたてほやほやの」検索結果をとらえられているか、という点だ。そうでなければ検索する利点がないこともある。そしていまのところ、答えははっきりと、ノーといえる。
なぜか?
それは、わたしが皮肉屋なのかもしれないが、グーグルは自分のところにリアル・タイムの検索結果によって収益が入ってくるような商談がないかぎり、ツイッターに大量の付加価値やトラフィックを与えたくないからだろうと思う。
これが「世界中の情報を組織化し、誰にでも利用可能とする」ことなのか? いや、ノーだ。すくなくとも、まだである。
グーグルのクローラーに情報をすべて渡すことによって(そして現状のおぞましいURL体系を修正することによって)フェースブックは、この権益をめぐる対立のなかできらりと輝くことだろう。