フリーミアムとフリーエコノミクス

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
今週はクリス・アンダーソンの本『フリー』が発売され、「ニューヨーカー」(マルコム・グラッドウェル)と「フィナンシャル・タイムズ」による書評が出てきた。わたしはここでちょっと、フリーエコノミクス(というのがクリスの本で出てくる)が解き放った騒動について話したいと思う。だがまずは、はっきりさせておきたいことがひとつある。
FTの記事はこう書いている。

インターネットによって可能となった「まったく新しいエコノミク・モデル」について言われているなかで、いちばんもっともらしい主張は、ニュー・ヨークのヴェンチャ・キャピタリストであるフレッド・ウィルソンが名づけた「フリーミアム」である。

これは、わたしが名づけたものではない。2006年3月に「わたしのお気に入りのビジネス・モデル」という投稿を書いたとき、フリーミアムにあたるコンセプトについてざっと説明し、読者にむけて、かんたんな呼び名をつけたいのだが手伝ってほしいと頼んだ。この呼び名「フリーミアム」は、わたしが思いついたものではない。思いついたのはジャリド・ルーキンという、当時アラクラに在職していた人物である。アラクラはわたしが取締役会に名を連ねている会社だ。幸運なことに、ウィキペディアにはそのときの話がちゃんと書いてあった
ではフリーエコノミクスについて話そう。わたしはインターネットでなんでもフリーになるとは思っていない。有料ビジネス・モデルはたくさんあるだろう。たとえば、もしあなたがメジャー・リーグ・ベースボールの試合をインターネットでライヴで見たいとしたら、あなたはそれにお金を出すだろう。もしあなたがFTWSJのようなサーヴィスを頻繁に(月に10回以上)利用したいのなら、あなたはそれにお金を出すだろう。もしあなたがインターネットでHBOを見たいのなら、あなたはそれにお金を出すだろう。もしあなたがツイッターむけデスクトップあるいはモバイルのクライアントが欲しいのなら、あなたはそれにお金を出すかもしれない。
だがわたしたちは、インターネットでは多くのサーヴィスの提供コストが、アナログの世界で費やされていた提供コストよりも、著しく減少したということを正しく認識しなければならない。一切れのコンテントを提供するためのコストは、ゼロへと近づいている。だがインターネットでコンテントを提供するためのコストをトータルでみれば、それはゼロとはほど遠いのだ。わたしのパートナーのアルバートが先週すばらしい投稿を書いてくれた。彼はこう言った。

ユーチューブで動画を見るための値段はゼロだ。コストがほぼゼロで利益がほぼゼロであるという状況では、ソーシャル(ネット)の利益を最大化させるという見地からすれば、フリーが適正な値段となる。というのは、そうすれば、視聴されることで利益がありそうな動画をいっさい排除することはないからだ。そうはいっても、フリーが持続可能なものであるということではない。それではトータルのコストをまかなうことは当然できないからだ。

さらに、アルバートがこの投稿の最後で言っているように、この議論の肝はエコノミクス云々ではないのだ。コンテントのエコシステムに参加する多種多様な人の生み出す価値を問題にすべきである。
グラッドウェルは、「ニューヨーカー」誌の記事で、アンダーソンとその本について非常に否定的である。彼はこう言った。

「非金銭的な報酬」のために多くの人が働くようにビジネスが自ら改革して生まれ変わる方法がわかっているのなら、それは素敵なことだろう。彼はたとえば、ニュー・ヨーク・タイムズがヴォランティアによって運営されることを意図しているのだろうか? アンダーソンは「音楽をオンラインで購入するのを好む」人々の話を持ち出しているが、不法コピーを排除するということが、単なる好みの問題であると示唆されているようにも読める。そして彼の主張からは、容赦なく値段を引き下げようとする圧力が、デジタルのエコノミーにおける揺るぎない法則であるという具合に読めるのだ。いったいなぜ、それが法則なのか? フリーは単なる値段のありかたにすぎないし、値段はひとりひとりの当事者によって設定されるべきものであって、市場に参加する人たちの力関係がからみあって、それが一致したところで決まるものなのだ。

この主張は、フリーエコノミクス反対派の主張で、たとえばアンドリュー・キーンとその一派も同じようなことを言っている。ファイル共有ソフトの利用者を糾弾したり、インターネットで市場シェアを獲得するためにはフリーが正しいやり方であると正しく認識しているアントレプレナーのことを罵倒するのをおもしろがっているのかもしれないし、それを聞いてスカッとする人もなかにはいるのだろう。だがこれは本質的な事実を無視している。その事実とは、フリーで、広告に支えられたメディアが、インターネットではもっともうまく機能するということである。これについては何度も何度も見てきた。もう例を挙げることもしない。
オーディエンスを獲得したら、それをフリーミアムのモデルをつかって値段を少しずつあげていくことができるし、広告をつかって収益化もできるし、収益化のしやすいサーヴィスへと手を広げていくこともできる。「シリコン・アレイ・インサイダー」の投稿でフェースブックの今年の収益について書かれているが、これは役に立つ情報だ。

今週、わたしたちはフェースブックの財務状況について事情を一部つかんでいる複数の情報者と話をした(全部の事情をつかんでいる人は含まれていない)。その情報者から聞いた話を組み合わせてみて、わたしたちはこの会社の2009年の収益の見込みを推計してみた。

この数字は、わたしが聞いていた話とだいたい重なっているので、ここにも転載しておこうかと思った。フェースブックには、世界中で月間2億以上のアクティヴ・ユーザがいる。かれらは毎月5000万ドルの収益をあげているとしよう。そうすると毎月アクティヴ・ユーザあたり0.25ドルをあげていることになる。たしかに少ないが、運営が赤字にならない程度には十分である。自前の広告と仮想商品からの収益は来年にかけて大きく成長するだろうとわたしは見ている。マイクロソフトとの広告契約の1億5000万ドルの一部が減っても、それを補うには十分だろう。
そしてフェースブックがとるであろう次の動きは、ペイメント・サーヴィスによる手数料収益、サイト外の広告、それからフェースブック・コネクト・サーヴィスからの手数料収益を生み出すことである。今後フェースブックは少なくとも毎月アクティヴ・ユーザあたり0.50ドルをあげるようになるとわたしは信じているし、これから数年でもっと増えることもあると思う。
フェースブックは、フリーエコノミクスが機能している完璧な例である。大手メディア会社に勤めているとある女性が、このあいだわたしのオフィスにやってきた。彼女は自分の会社のCEOが言っていた、「フェースブックはどうして毎月利用料をとらないのでしょう、そうすればお金はすぐにつかみとれるのに」という言葉を引用した。まあ、わたしが思うのは、フェースブックがそうしていたら、フリーのサーヴィスを提供しているほかのネットワークスに打ち負かされてしまうだろう。それにこの2億以上のユーザが全員毎月利用料を払おうという気になるわけではない。だがフリーのサーヴィスをすれすれで提供することによって、かれらは強力で成長しつづけるネットワークを打ち立てることができたし、かれらはいま多様な方法で収益化をはじめているし、これからもさらに多くの方法で収益化を進めることだろう。そしてフリーであるから、競争力も非常に強い。
投稿があまり長くならないようにしたいので、このへんにしておこう。さいごに言うと、インターネットはアントレプレナーにフリーで提供することによって市場に参入することを可能とした。それはそうするためのコストが、そんなに途方もなく高いわけではないからだ。そしてこの方法をとる多くのアントレプレナーはベーシックのサーヴィスをいつまでもフリーで提供して魅力を維持するだろう。しかし、だからと言って、提供するものすべてがフリーというわけではない。ここまでが、フリーミアムのおおまかな要点だ。フリーはあなたを、有料でもいいかと依頼する場所へといざなう。だがインターネットではフリーからはじめなかったら、ほとんどの会社は有料でもいいとは言ってもらえないのだ。