フリーエコノミクスへの真剣な見解

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
わたしのパートナーであるブラッド・バーナムは、わたしと一緒にユニオン・スクエア・ヴェンチャーズをはじめた相手だが、かれはわたしの知っている人たちがそうしているのと同じくらい、投資すべき市場についてはたくさんのことを考えている。だがかれは自分の考えをわたしがそうしているほどに頻繁には人前に出そうとはしない。だがかれがそうするときは、いつもそれは読みごたえのあるものである。
昨日ブラッドはフリーエコノミクスにまつわる議論について、自分の考えを投稿した。これはしばらくまえにクリス・アンダーソンとマルコム・グラッドウェルが議論していた。ブラッドは、ふたりとも間違っていると考えている。
ブラッドの投稿から3箇所引用をするのであなたがたの役に立てばと思う。できれば全部を通して読んでもらえるとうれしい。ここに載せたのはすぐに読めるためのものだ。数分あれば読めるだろう。
3箇所の引用は、以下のとおりだ。楽しんで読んでほしい。

つきつめれば、この討論は富める者の経済の議論のようになっていたり、先を急ぎ過ぎたサイバー・ユートピアンの考えを、シニカルでかついくぶん利己的な現状のメディア・ビジネス・モデルの擁護者にぶつけるだけで終わってしまっている。
「フリー」とは価格戦略でもなく、マーケティング戦略でもなく、コストが下振れしやすい市場が必然的に行き着く先でもない。これは明らかに、本質的な経済のシフトが進んでいることの現れである。そこではどのような資源が希少になっているのか、将来にわたってそれがどのように配分されるかのフレームワークについて、同意できるようにならないかぎり、わたしたちはただ過去について言い合ったり、間違ったことについて言い合っているだけで終わってしまうだろう。
サーヴィスはフリーで提供されるのではまったくない。そこにある素材(データ、コンテント、メタ・データ、そしてデータが目に見えるよう変換される場としてのネットワーク)のユーザ同士、クリエータ同士では価値の交換が行なわれている。この価値の交換はいまでも、経済の基本的な法則によって執り行われている。だがその通貨はドルではない。アテンションが通貨なのだ。

追記: ニックから、わたしが大事な段落を見落としていると指摘があったので、4箇所目を追加しよう。

これらのサーヴィスでは、実際どのような技術が機能するのかフィルターにかけるまでにかなりの量のユーザ数が必要なのだが、なぜこれらのサーヴィスは生産者に対価を払わないのかと安易に問いかけてしまう人もいるかもしれない。といって、生産者に課金すべきかと討論することもあまり意味がない。