未公開企業の価値が幾らになるのか推測するのはよいことなのか?

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
ロバート・スコーブルが昨晩出張先のインディアナポリスから、「ツイッターは推計50億ドルから100億ドルの価値がある」と主張する投稿を書いていた。ある未公開企業について、その価値が幾らになるのか推測するのに、誰かがブログ投稿をつかうのは、これがはじめてではない。フェースブックなどはたぶん、この手の推測の申し子みたいなものだ。
今年の前半にテッククランチが、フェースブックが20億ドルで評価された契約書の提案を受けたとする記事を書いていた。それから1か月もしないうちに、フェースブックは「デジタル・スカイ」から100億ドルの評価での投資を受諾したと発表した
こういった推測は果たしてよいことなのか、悪いことなのか? 正直にいって、わたしにはよくわからない。だがこれから先、この手のことは増えることはあっても、減ることはないだろうと思う。今朝ハワード・リンゾンがかれのブログに「ストックツイーツ」がフェースブックとツイッターの株価ティッカーをつくったことについて書いていた。ということは、これでFBOOK(フェースブック)やTWIT(ツイッター)の株価が幾らだと思うかツイートできるようになった。だがその株価はこれらの会社のものではない。
それと同時に、この手の推測があちこちのブログで(ひいては古参のメディアでさえも)盛り上がってくると、わたしたちは「セカンドマーケット」「シェアーズポスト」などに代表されるセカンダリー・マーケットが持ち上がってくるのを目にするようになった。シェアーズポストで公開された未公開企業の調査結果を、わたしも読むことがある。そこでは売り上げ、決算の見通しや、評価額を書く試みがなされている。
ある意味では、未公開企業の投資について、情報が公開されていくのはよいことだと思う。アントレプレナーたちは自分の会社が議論の対象となり、「マーケット」で評価されることによって得るところが大きい。
だがその会社が幾らなのかにばかり注目が集まることは、悪いことになる場合もあると思う。これらの会社が未公開なのは、理由があるのだ。多くの場合、公開企業となるにはまだ未熟であるからだ。十全な経営チームを持ち合わせていなかったり、売り上げがなかったりすることさえある。これらの会社の内部でまず行なうべきことは、会社をしっかり築き、プロダクトとビジネスを確立することだ。その会社が幾らの価値なのかをいつまでも議論していては、おそろしく足を引っ張ることもある。
わたしは90年代後半にもこのような推測を目にした。わたしたちのポートフォリオ会社数社が準備不足なままで株式公開へと踏み出したときのことである。その従業員は株価に目をとられて時間を費やしすぎ、ビジネスのほうへかける時間が少なくなってしまった。多くの従業員は自社の株価がまだ流動性もないままで、総額で幾らにのぼるのか計算をはじめてしまったが、結局、自分たちが思っていたよりもずっと少ない額であったのだ。
つまるところ、その会社の価値が幾らかという推測が意味をなすのは、全員の人がそこに関心を持ち続けるときだけである。これは空想上の野球チームみたいなものだ。あなたのチームはすばらしいかもしれない。だがつまるところは、あなたはメジャー・リーグの野球チームを実際に所有しているわけではないのだ。それはただのゲームでしかない。
だがスタートアップや成長中の会社の場合は、いつまでもゲームというわけではない。もしあなたの会社が成長し、本格的なビジネスとなり、株式公開をしたときには、あなたは自分の成した仕事の利益を受け取ることもありうる。にわ鶏がねぐらに着く前に数えはじめてはいけない。