RSSは健在だ

(This is a translated version of "A VC" blog post. Thanks to Fred Wilson.)
昨日わたしが書いた「すぐれた会社の10の特徴」という投稿のコメント欄で、どういうわけか話題がそれてRSSの将来について語り合われることとなった。わたしはこれまで、「RSSはお終いだ」だとかそうではないだとか、議論するのは馬鹿らしいのではないかという意見で、その話には関わらないようにしていた。だが昨日のコメント欄での討論を見ると、どうも違った風に感じられた。ここではそれについて書こう。
マイク・アーリントンがつい先日、「テッククランチ」に載せた投稿で、ツイッターがRSSを消滅させつつあるとの説を述べた。
一部の人のなかではツイッターがフィード・リーダーにとって代わったという主張にも一理あると思う。わたしはフィード・リーダーをうまく使いこなしたことがないので、とって代わるも何もないのだが、たしかにわたしはツイッターをつかって自分の読みたいと思うニューズやブログ投稿へのリンクを探し出している。
しかし、RSSから生まれたフィード・リーダーより、RSS自身はもっと進化しつつある。RSSはインターネットのアーキテクチャの土台を成すような部分であり、ありとあらゆることに使われている。これはインターネットにおける購読システムでもあり、インターネット・オペレーティング・システムにおける「標準機能」でもある。
ここのブログで常連のコメンターであるキッド・マーキュリイは、ブログの用心棒の役割もしてくれているが、わたしが思っていたことをそのまま代わりに言ってくれた。

RSSはお終いだ」の議論について言えることはただひとつ。シラーッ。
わたしが思うに、問題はギークRSSを採りいれ、そしてそれがコンシューマ向けテクノロジになってゆくだろうと思い込んでしまったことから発生している。だが残念なことに、RSSはそのためのものではなかった。RSSからコンシューマが使いたいと思うような、また内部コミュニケーション・システムにも役立ちそうなクールなものをつくりだそうとしたら、ビジネスはそれなりの投資をする必要があるだろう。

わたしはRSSがどうこうなるとも思わないし、ツイッターRSSを消滅させるとも思っていない。
またもや、テックのブロゴスフィアは「アレがコレを消滅させる」云々で一喜一憂してしまっている。このことは前にも書いた。それはただ煩わしく、どこにも行き着かないのである。
あるひとつのテクノロジがべつのテクノロジを消滅させるということはよほど特殊なことで、とくにそれが広く使われる人気のテクノロジであればなおさらである。消滅するというのなら、それは自分で招いたものであり、他者によってもたらせれたものではないはずだ。
だからもしあなたが「XYZがABCを消滅させる」などという投稿を見かけたら、それはたんにページヴューを稼ぎたいという無益な企みでしかないと思ったほうがいい。それを書いた人はそのトピックについて興味深い意見を寄与しているわけではないからだ。