IBMの社債取引: Tボンドとクロス・カレンシー・スワップ

1981年、ソロモン・ブラザーズは優良顧客のIBMと世界銀行との間でクロス・カレンシー・スワップ契約を成立させた。この契約では、IBMが米ドルを支払い、世界銀行がスイス・フランを支払うというものだった。そして、ソロモンはこのスワップ取引の全貌を市場関係者に漏らしたのだ。おそらく普通銀行を意識してこの行動を取ったのだろう。この取引に関心が寄せられ、スワップ市場は急速に成長を遂げることになる。
この頃、金利スワップアメリカで開発され、より一層デリバティブ市場が注目されるようになった。この金利スワップはかなり一般に知れわたるようになり、単純にスワップと呼ばれるようになった。このスワップこそが、後にLTCMが巨額な資金を投じて賭けに使った商品だった。
当時のアメリカ市場では、連邦準備理事制度理事会議長だったボルカー氏のインフレ対策の金利引き締め政策などで、債券市場では今までにない厳しい乱高下が見られるようになっていた。多くの普通銀行も、このボラタイルな市場には打つ手がない状態で、かなりの被害が出されていた。イールドカーブ(利回り曲線)は、まさに狂った蛇のようにその曲線を上下に振り回していた。
普通銀行の多くが、従来通り長期固定金利でローンを組んで、預金には変動金利を用いていた。しかし、これだけ頻繁に金利が上下する中では大きなリスクにさらされていた。特に貯蓄貸付組合に打撃を与えていた。彼らは住宅ローンを中心に6%の長期固定ローンを組んで、変動金利をベースに預金金利12%をお客に支払う破目になっていた。このような状態で、1970年代にはアメリカ国内で14件の銀行倒産が発生し、1980年代そして1990年代になって破綻数が急増した。
多くの銀行が、この時にふるい落とされたのだったが、この苦境を乗り越えようと必死に戦った銀行もいた。中でも、貸付と負債の6%のギャップを埋めるために、モーゲージ担保証券を売って得た資金で、新たに高い金利でローンを組もうという動きが活発になった。モーゲージ債の売買が拡大していった時期でもある。
このモーゲージ債は市場価格で取引されているため、昔に設定した長期固定金利モーゲージ債は当然額面割れしている。額面に対して70%から80%の価値しかないこの債券をいくら売却しても、損失が大きく、被害が拡大していくだけのように思われた。かなり割り引いても売らなくてはならない状態に追いやられていた銀行が多かったともいえる。
投資銀行ではTボンド(米国30年もの先物)がヘッジ手段に使われていた。メリウェザーもIBMの社債取引にこのTボンドを使っていた。また、1982年には、CMEがCBOTに対抗して開発したユーロドル3か月金利先物も上場して、短期金利変動のヘッジ目的に広く使われ始めた。このユーロドル金利先物は短期変動金利の乱高下をうまくヘッジすることができ、上場以来人気を博していた。しかし、この2商品でも6%の金利差を埋めることはできなかった。
非常に高い変動金利支払いを、どうにかして低い固定金利に置き換える手段を探さなくては、多くの銀行が経営破綻に追い込まれてしまう状態だった。1970年代に、クロス・カレンシー・スワップを生み出した投資銀行が、今度は、金利スワップを使ってこの問題を解決しようと試みた。水をワインに替える手品を銀行が競って考え始めたのだ。(『LTCM伝説 怪物ヘッジファンドの栄光と挫折』東洋経済新報社、2001年)
(From the translated version of "Inventing Money"pp.130-132. Thanks to Nicholas Dunbar.)

LTCM伝説―怪物ヘッジファンドの栄光と挫折

LTCM伝説―怪物ヘッジファンドの栄光と挫折